うつについて Vol.8 宇宙は鬱のままでいることを赦してる
うつの本当の原因と回復へのアプローチについて綴って参りました
Vol.1でも伝えましたが、感情に素直になること、自分に対しての素直さが健全に働けばうつは回復します
うつをストレスや他者のせいにしているあいだは回復しません
JIONの経験から断言できます
回復には、勇気と覚悟が必要です
"感情に 正直 素直になること"
"自分と向き合う勇気"
"間違った解釈の観念=自分を幸せにしない思い込みに気づいて自覚して、捨てる勇気"
6年間のうつから完全回復したJIONが
時間をかけて取り組んだことを纏めて
箇条書きにします
・間違って解釈して持っていた観念に気づき、自覚すること
・観念やエゴ(自我的な意識)が真実でないことの自覚
・健全な罪悪感を理解すること
・本音を話す(本音に正直になり、素直に認める)
・休むことを自分に許す
・我慢を伴う自己犠牲的な頑張り方をやめる
・母との関係性の自覚
・母親的な愛を他者に求めていたことの自覚と今後求めない覚悟
自分自身が鬱になり、発症の理由をどうしてもわかりたくて、セラピーや心理学を学んで、とことん自身と向き合ってきました
それを続けていたら、
「もしかしたら《母親との関係性》かもしれない…」
自分の心と向き合いはじめたばかりの頃は、
親との関係性のことは心理学を学んで、知識としては知っていたのですが、
自分の母親が過干渉に値しているとは思わず、思えず、いえ、思いたくなく、抵抗と苦しさが続きました
心から笑いたいのに、元気になりたいのに、
人と繋がりたいのに、家に引きこもる日々
もとの自分に戻れないもどかしさ
あまりにも苦しくて、心理の学びとともに、
もう、悟り=己事究明するしか、手立てがなくなりました
己事究明に取り組んだことで、愛や平和について、ずっと思い違いをしていたことに気づきました
もう、悟り=己事究明するしか、手立てがなくなりました
己事究明に取り組んだことで、愛や平和について、ずっと思い違いをしていたことに気づきました
親との関係性の前に、気づくべきことがありました
愛 とは(本当は、愛とか宇宙とか名前なんてつけられないものですが)
ネガティブな感情や状態がない
というものではなかったのです
どのような現れも
一才の現れを許しているんです
だから、
この宇宙、この世には、個人にとっての都合に関係なく、起きてほしくないことも、起こります。
この気づきは、JIONの観念がひっくり返った、大きな大きな気づきでした
今、その瞬間、瞬間の喜怒哀楽やモノゴトが現れては消えて、現れては消えて
一才が事実、あるがまま現れることが許されている
宇宙は、うつがあることを受け入れ、
うつのままでいることも許しているのです
うつをなくそうと戦わないのです
今、うつなら、うつのままでいていいんです
だって、もうすでに、うつ なのだし
うつは在っていいから
必要だから現れています
事実は常に ひとの考え方よりも先に
必ず先に現れています
意味づけ ジャッジ 概念がまったくない世界
だから、そこに平和があります
苦しみは、うつを悪者にしてを排除しようと抵抗したとき、在るのになくそうと戦いはじめたときに生まれます
“宇宙は、鬱があることを受け入れ、鬱のままでいることを許しているのです”
この言葉に出逢ったとき、私を縛っていたものが解けて、すぅっと胸が軽くなりました
ああ、それでいいんだと。
うつの症状を自覚して、認めて、受け入れて許しているつもりだったのですが、心の奥では、本当には許せていなかったのです
ダメな自分というレッテルを貼り、自分を責めていました
上記の一文との出逢いは
頭の理解から、体感的な真の理解となって、
本音にやっと正直に、素直になれました
もう、
何もしたくなかったんだ
がんばりたくなかったんだ
休みたかったんだ
優劣きらい
上下きらい
競争きらい
正誤なんてない
ただただ
存在を認められたかった
あるがまんまで愛されたかった
いるだけで嬉しいんだよって
それは、
自分からだったんだ
もう、本当にとことん、なんにも…
誰にどう思われようとも、うつがあることを受け入れ、うつのままでいることを許そう
心底そう思えたときから、回復に向かいはじめました
この体験からも、セラピーや心理学の視点からも、法の視点からも、しつこいくらいに、ネガティブな感情を認めて、受け入れてくださいと、一貫して伝えています
うつ=苦しみではないのです
うつは悪者でもなく
敵でもなく、むしろ味方なのです
うつと戦わない
受け入れて、寄り添えたときにはじめて、
今まで気づいてもらえなかった様々な深い想い、本心との対話が始まります
JIONもそうして、ドMがんばり教になった根源、自分のやさしさも、受け入れることが出来て、約40年の生き苦しさの霧が晴れました
蓋をしていた、「母の過保護・過干渉」ということを受け入れられたのです
母に
認めてもらうため
許可をもらうため
喜んでもらうため
褒められるため
頑張って頑張って頑張って
電池切れ
もっと信用して欲しかった
何か出来るわたしじゃなくて
成績がいいわたしじゃなくて
有名なところで仕事するわたしじゃなくて
母の思ういい子じゃなくて
条件付きじゃない ただのわたし
この存在自体を愛して欲しい
鬱であると伝えたのに
もう、がんばれ、がんばろうと言わないで…
ああしろ、こうしろ、指示しないで…
ヒステリックに、感情的に正論で説教しないで…
お母さんが喋り続けるんじゃなくて、たまには私の思いも聞いて…
そうして
色々わかってくると
ああ、そうか、母も不安だったんだ
娘を愛しているが故に、心配で不安で、
インターネットがない時代、
過干渉や過保護は、心理学なんてことも何もわからず、育てるのに必死だったからなんだ
そんなふうに母の想いも理解できました
…
結局は、ドMがんばり教=我慢を最終的に選択していたのは、わたしだったのです
誰のせいでもない
わたしがわたしに強いていたのでした
もう我慢してがんばらない
自己犠牲のがんばりは、しない
それを許すと決めました
無条件の愛 とは
自分 なのでした
このことが心底腑に落ちたとき
両親から 精神的に独立して
自分の人生を生きる
自然とそう思えました
長くなりました うつシリーズ
最後までお読みくださり、
ありがとうございます
(記 : 2019.11.12)
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