ぜんぶ感じられることの尊さ
嬉しいな
イライラするな
悲しいな
楽しいな
辛いな
憎らしい
寂しいな
いろんな思いを 感じられる
ぜーんぶ感じていい
感じちゃいけない感情なんてない
どんな感情も 真相の顕現です
もうすでに現れて
今 あるのだから
感情は なまもの
嬉しさも
楽しさも
悲しさも
苦しさも
フレッシュなうちに
そのまんま
いま その思いがあるなら
あなたはその 思いそのもの
分かれてない
ひとつなんです
あなた(自分) と 思い
ではなくて
それ そのもの
感じて
感じて
感じきって
そしたら
その感情は自然と終わります
終わらせる必要ないんです
留まらない
常ならず
だから
その感情 感じてあげる
その感情を認識したときには
すでに終わっているんです
結果なんです
だから認識できている
だから 安心して感じきればいいのです
結果を
事実を
ないものにしようとしたり
否定や
他の感情に変えようとしなくて
いいんです
というか できないですからね^^
できないことをしようとするから
苦しいんです
自由自在に感じられることの尊さ
様々な感情を
"思える"
ということの尊さ 素晴らしさに
気づいてほしいのです
わざわざ 私 を使わずとも
意図せずとも
嬉しいときには
自然と 嬉しい思いになり
自然と 笑顔になり
嬉し涙が溢れたり
怒りを感じているときには
自然と 鼓動が早まり
自然と しかめっ面になり
自然と荒々しい口調になったり
悲しいときには
自然と 悲しみ
自然と 涙が溢れてくる
そうした
当たり前 に感じられることのすべてが
自分(個の私)で起こしていないこと
無我の活動であること
その尊さに気づくときがきたら
すべてのひとが同じということにも
本当に気づけます
そしたら
責める(攻める) 責められる(攻められる)
なんていう世界は消え去ります
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昨年、2021年の3月にアップした記事を
リライトしました
現在、JIONの日常は平和です
それは、とても恵まれた環境であるので
本当に有難いことだなぁと
日々過ごしています
でも、世界では、戦争をしている地域があります
戦争だけじゃない
色々なかたちの ひとの対立
その結果悲しいニュースがあとを断ちません
あの人が悪い この人が悪い
自己都合で、責めたり責められたりが
日常に溢れています
酷いとパワハラ、虐待、暴力、
殺傷なんてことにまでなってしまう…
そんなことしてるの
人間だけなんですよね
JIONも
ひとは錯覚していて、考え=二元相対世界で迷い苦しんでいる
ということを知らなかった頃、
自分を省みることなく、
自己都合で、自分にとって都合が悪いことは
誰かのせいにばかりしていました
本当に愚かだったなと思います
なぜ対立がおきるのか
その仕組みがハッキリしたから
それは明らかに間違った"人間的な考え方"
、つまり、自我的な意識を個の私の思いだと錯覚していて掴んでしまう、そして誇示してしまうがゆえなので、
JIONがお伝えする話が縁となり
なにかを感じていただいた方が
己事究明の方向へ
自分で自分を解決する道へ
歩みを進めていただけるきっかけとなればと
そうした思いからの活動です
リライトした文章の補足として
以下を書きます
悲しすぎた経験 苦しすぎた経験から
JION にとって、
悲しむことは とても怖いことになりました
人と関わり、深く繋がることを避けるようになりました
なぜなら、
人と関わらなければ、繋がらなければ
悲しまなくて済むからです
悲しみって、ものすごく苦しいですからね…
鬱になり、隠れ引きこもりになって
人と深く関わることを避けるということを
当時は無自覚にやっていたのです
《どうせ愛されない》という思い込みも
ありました
のちに、己事究明に取り組みはじめて、
「ああ、そうか。事実ではない、考え を
事実だと思い込んでいたことで、苦しんでいたのだなぁ。」
「考えを事実だと思ってしまうのは、"個人の私が実体を持って存在している"と思考が錯覚をしていて、さらに、私の考えは正しいと信じ込んでいたからなのだなぁ。」
と気づくわけですが、
当時は錯覚してるだなんて知らず、
自分の思いは正しい、そう信じて疑わなかったわけです。
(ここ、むちゃむちゃ重要なことを言ってます!)
また、
ポジティブが良いという、人間が勝手に創った偏った価値感や観念で発信されている、情報を鵜呑みにして、
「ネガティヴを感じちゃいけない」
とも 思い込んで いたので、
それも生き苦しさの原因のひとつでした
感じちゃいけないもなにも
すでにもう感じてるやん、
すでに現れてるやん、みたいな 笑
私 なんてもんのコントロールなしに
その感情はすでに現れていて、
いま悲しいなら、悲しいが事実なのに、
悲しい以外のあり様はないのに、
悲しいときは 悲しいしかないのに、
ひとは、
自分にとって、心地の良いものは善い、
と判断して、そのままにできるけれど
自分にとって、心地の良くないものは悪いこと と判断して、否定して、無くそうとしたり、改善しようとします
JIONがお伝えしている内容は、
ひとの考え方ではない、"事実" です
ですから、苦悩 は 苦悩 です
苦悩 は 苦悩 ですから
苦悩 は 苦悩 で解決しているんです
考え方では、納得いかない
なかなか解りにくいことです
苦悩は苦悩で解決してるだなんて
どういうことだ! と…
解決してるわけないじゃん
苦悩しているのに! と…
一旦頭を捨てないと、
ひとはなかなかここに気づけません
今 ある事実を否定したり、
無理に消そうとしたり
他のものに変えようとしたりすることで
無理に消そうとしたり
他のものに変えようとしたりすることで
ひとは更に苦悩します
もうすでに そうであるありよう
それはもう 変えられないんです
変えられないものを変えようとするから
苦しいわけです
事実どおりではないと
苦悩は増幅するのです
幸せや喜びや楽しい感情を感じるのと同じように、
今、あなたの中にネガティブだったり、ドロドロとした黒い感情があるのなら
誤魔化さず、否定せず、無くそうとせず、
正直に その感情のまま
それそのもの のまま です
誤解しないでいただきいのですが、
それは、
感情のままに、誰かや自分を
自ら意図的に直接攻撃してよい
という意味ではありません
自分に正直に、というお話をしますと、
今、誰かを責めたい、憎い、やっつけたい、
見下したい、正したいという思いがあるひとは、自分に都合よく、
「じゃあ攻撃していいんだ♪」と解釈します。
ですが、それを実行することは、本当に望んでいる幸せでしょうか?喜びでしょうか?満たされるのでしょうか?
結果的に自分を傷つけることになりますから、JIONがお話しさせていただいている
"自分で自分を救う道" 、己事究明とは
真逆です
あなたがすることは、現れた感情を
感じきること
それだけ
つまり、
自身に現れた感情は、自身で責任をもつ
ということです
だって、あなたに現れた感情は
あなたにしか感じられないのですから
そうですよね?
他者は、あなたの感情を想像することはできても
寸分違わず、全く同じに感じることも、理解することも、変わってあげることもできません
逆に、あなたが誰かの感情を変わって感じてあげることはできませんよね。
徹底して、己事究明
自分で自分を救う道
のおはなしをしています
自分でしか 歩めない道なのです
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