うつについて Vol.3 本当の原因はストレスではなく"自分の観念"
鬱について Vol.2では
JIONのうつの発症のはじまりについて書きましたが、
" 怒れなかった "
ということが出てきましたね。
【謎のイライラ、謎の生き苦しさ】の記事でもお話ししていますように、
JIONは両親の過干渉による観念や非合理な思い込みが沢山ありました
それによって、本音を我慢してしまうように
なっていました
生き苦しさを感じはじめてから鬱になるまで、JIONは、無価値観、自己卑下、罪悪感を強く感じていました。
子供の頃から、色々器用にこなせる特性があったからか、同性から嫉妬を受けることが多く、嫌味を言われたり、無視された経験、
また、
中学時代の部活顧問に、ミスしたら殴られ蹴られ、それがほぼ毎日だったため恐怖が限界になった時に練習試合を欠席したら、翌日からキャプテン剥奪、顧問から無視され、練習に参加させてもらえず体育館の隅で立たされていた、という経験などから、
*間違ってはいけない=間違うと殴られる
*ありのままに振る舞うと(好きなことや得意なことを楽しむと)嫌われる=ありのままに振る舞うことは許されない
*本音を選択すると無視される=本音をあらわしてはいけない
と思い込み、
素直な本音をありのまま感じること、
ありのまま振る舞うことを抑圧するようになりました
間違うこと、ミスもとても怖くなり、完璧でなくてはならないと思い込みました
ああしなさい、こうしなさい
あれはダメ、これはダメ
口うるさい母 母の正しさ
部活顧問の怒り、暴力
元パートナーの怒り、暴力
これらを受けて、とても苦しかった、
キツかった、しんどかった、悲しかった
でも、弱音を吐けるひと、場所がありませんでした
奥底の本音は、beingレベルで愛されたい
だから
とても悲しかったのです
そして、数々の喪失体験により、
悲しいことがとても辛くて苦しいから、
悲しむことが怖くなりました
怒りをぶつけられる苦しさ、嫌われる悲しさ、しんどさ、辛さを知っているから、
私は他者を嫌うことや、素直な感情・本音を、あらわせなくなりました
自分が、他者へ怒りや本音を表すことで
"相手が悲しむ姿を見て自分が悲しみたくないから"
なんです。
それで、
他者への怒りや本音を表せなくなってしまい、
それが溜まって溜まって、
鬱という形であらわれたのでした
間違った解釈で持っている やさしさ の観念
から、
《怒ってはいけない》という思考に縛られます
そのため、腹の立つ状況でも、怒りをあらわにすることを抑えます
1、「悪いのは私のほう」と、無理矢理変換して我慢する
2、なかったことや忘れたことにする
でも、どちらも、怒りという感情のエネルギーが消えたのではありません。
怒りのエネルギーが生まれ、それが在ること、感じることを自分に許さず、言う、誰かに話す、書き出すなどのアウトプットをせずに我慢した、抑えたということは、
内側、つまり、自分に向かって流れてしまったということです
表現されずに、内側へ向かった怒りのエネルギーが消化されなければ、そのまま心の奥底へ蓄積されます
心の奥底に蓄積しているというと、奥の方で
ただ静かに溜まってるイメージかもしれませんが、そうではありません。
怒りを感じている時、皆さんどんな感覚がありますか?
怒りの度合いで違いはありますが、
怒りで身体がふるえるという表現があるくらい、ワナワナと身体がふるえたり、
頭に血が上ったり、力んでいたりと、
かなり大きな動的エネルギーですよね
怒りエネルギーが大きければ大きいほど
溜まれば溜まるほど
エネルギーは外へ出たい
でも、やさしさの観念があると、
怒りを外に出せない
溜めておかなくてはなりません
抑えて蓄積したものが許容量を超えて、
外側に向かって爆発したかたちが
「暴力」や「殺傷」など…
自分の内側で爆発してしまうと、
外側に破壊的エネルギーが向かわないように、という"やさしさ"からの犠牲心によって、
「自傷」や「自殺」といった形で現れます
感情「喜怒哀楽」は、個の私のコントロールなしに、自然に現れてくるものです。
けれども、
感じちゃダメ
現してもダメ
と抑え込むと、その抑え込みにエネルギーが浪費されるため、疲労感、気力の低下、不眠、というふうに、鬱の症状が現れます
そのようなことから、喜怒哀楽、あらゆる感情は抑えず、否定せず、
現れた感情があるということをまずは認めること、否定しない、
ということを一貫してお伝えしています。
Vol.4へ続きます
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