"自分の正しさ"を手放す Vol.2 不快な感情からマイルールに気づける
ひとは「自分の正しさ」を持っています
過去のJIONも無自覚に「自分の正しさ」に固執し、
無自覚に誇示していました
長年生き苦しかった理由のひとつは、この
「自分だけの正しさ」を無自覚に握りしめていたから でした
人間関係から生まれる葛藤、絶望的なできごと、屈辱的な出来事というものは、
大切なことへの気づき、
調和に向かわない自分の正しさを握りしめている
そのことを自覚するために起きている
と、数々の絶望体験を振り返り、そう確信しています。
「JIONがもっている【自分の正しさ】とは
一体何なのだろう」と向き合って向き合って
気づけたこと
それは、
自分の正しさ = 自分だけの正義
立ち直れないと思うほどの屈辱、絶望や
葛藤という経験は、渦中はもちろん大変苦しいです。
痛みもあります。
でもそれは、自我的な意識が解体される時の一時的な痛みです。
立ち直れないと思うほどの屈辱、絶望や葛藤という苦しい経験は、
自分を偽って生きていたり、
自分の正しさを握りしめているときに起こります
そういうことがないと、気づけないから
苦しい って、苦しいから、
苦しさはいやだ、
避けたい、って普通は思いますよね
でも、実はとても有り難いものなんですね
それがなかったら、ひとは自分が可愛くて自分に甘いですから、自ら変わろうとはしないですから。
人間関係での立ち直れないと思うほどの屈辱や、絶望や葛藤という苦しい経験は、
長年信じてきた観念が崩壊するチャンス
であり、
自分の正しさ=自分だけの正義を手放す時、
本当の自分を思い出してゆく時がきた
ということです
苦しい
辛い
傷ついた
許せない
・・・
そこには、必ず
あなただけの「正義」が関わっています。
自分に原因があるのですが、多くの人が
人のあり様を知らないため「わたしは他者のせいで苦しんでいる、悲しんでいる」と思い込み、苦悩します
ですから、
「自分の”正しさ”を手放すことですよ」とアドバイスをもらっても、
“今感じている「他者のせい」という想いは正しい、普通に当たり前に感じる想いだ”
そんなふうに思い込んでいるので、
アドバイスの意味がわからず、すぐには納得がいかないんですね
心のことや生き方について考えるようになると良く聞くようになる
「本心本音で生きよ」
「自分の想いに蓋をしない」
それと矛盾しているようで、JIONもとても葛藤しました。
人間=自我的意識は、教えやメッセージを、
自分に都合良いほうに解釈します。
ですから、「本心本音で生きよ」「自分の想いに蓋をしない」というのも、利己的に解釈してしまうんですね。
それくらい、自分が
「調和に向かわない自分だけの正義」を持っている
このことに気づくのは、とても難しいです
しかし、
この葛藤が、自分の正しさに気づき手放す大チャンスなんです
では、
「自分の正しさ」= 自分だけの正義
とはどういうことでしょうか。
「正しいこと」とは、自分の中にある
・人として、して良いこと
・人として、してはいけないこと
マイルールのことです
例えば、
・人に迷惑をかけてはいけない
・人を悲しませてはいけない
・甘えてはいけない
・間違ってはいけない
など色々ありますよね
多くの人が共通して持っているルールは、「常識」「社会通念」などと呼ばれ、世間ではそれに沿っていないと非常識とか、常識外れと言われたりします
けれども「ルール」は、万人が同じではないですし、絶対ではありません
国、地域、家族、組織、状況などによっ
て全く異なります
ルールがあると、人はそのルールをもとに、
他者に対して善悪のジャッジがはじまります
これは必ずです
ルールを守らないひとを見つけて、
「あの人は態度悪い」などと裁き、同時に
「自分の振る舞いは大丈夫かな」と他者の目が気になるようになり、言いたいことが言えなくなったりします
自分を制限する厳しいマイルールを沢山掲げていると、誰かにもそのルールを強いてしまいます。
なぜなら、自分に赦していないことだからです
まさに、JIONは幼少期からそれが強かったです
マイルールの形成は、両親との関係性が大きく影響します。
わたしの両親は、過保護で過干渉で、
あれはダメ、これもダメ、何か相談すると最初の一言がダメ、ダメダメ星人か!😂 っていうくらいルールが厳しかったのです。
当時は過剰な過干渉と気づいておらず、どこの親も、親とはそういうものだろうと思っていました
まさか、長年の私の生き苦しさの大元だとは思いもしませんでした。
思春期になるとうざったいなぁと反抗もしましたが、無意識のうちに、両親のルールを取り入れていたのです
〜でなければならない
〜ねばならない
という信念が作られてしまうんですね
わたしが楽しくてやりたいことに関して、
両親からダメと言われることが多々あり、
「楽しんではいけない、(クソ)真面目でなければならない」と思い込みました
(今は、お久しブリーフ🩲とか、よろチクビーム👙を愛する、おふざけお気楽おばちゃんです 😂)
人間は誰もがマイルールを持ち、それに従って生きているのですが、多くの人が自分の持っているルールに無自覚です
自分が 「自分の正しさ」=正義 を握りしめていることに気づいていないのです
今、お読みくださっている方の中にも、
「自分の正しさを捨てる」
この真の意味が、受け取りにくい場合があると思います
マイルールは、幼い頃から普通に、
ナチュラルに、マイルールに従ってきたので
自分がマイルールに縛られていることに
気づけません
だから、何もないところ、何も起きないところでマイルールを見つけて手放すということは、何度も言ってしまいますが、とても難しいです。不可能と言っても過言ではありません
何がマイルールを握りしめていることに気づかせてくれるかというと、
【人間関係 】 です
悲しみ、寂しさ、苛立ち、怒り、
不安、嫉妬など
他者に感じた不快な感情です
例えば、
「迷惑をかける人」を見て、「怒り」を感じたとしたら、
「人に迷惑をかけてはいけない」というマイルールを持っています
「私にとってのルール」に違反した他者を見て、「不快」「嫌悪」「怒り」という形の信号…感情としてあらわれます。
この反応は、自分の意識や意図に関係なくオートマチックに起こります
前の記事に書いたわたしの経験も、自分ではどうにもコントロールできませんでした。
わたしは15歳くらいから、怒りを現すことを抑圧して生きてきました。
怒りを感じても、それを態度に出したり、口にしたり、相手に伝えてはならないと。
なぜかというと、他人からの理不尽な怒りに深く傷ついてきたからです。
中学バスケ部顧問=ミスしたら殴られる恐怖
元パートナーの暴言、暴力
これらの経験から、声を荒げ、威圧的な人、
その現れを見たり聴いたりすると、恐くて固まって言葉が出なくなるようなりました
他者の怒りに自分が傷つき、悲しく感じるから、他者の言動に怒りを感じても現すことが出来なくなりました。
でも、前の記事に書いた出来事では、その時はどうにも怒りが湧いてきて、伝えずにはいられなくて、でも心理や真理を学んでいる場でしたので、
怒りのまま感情的にではなくアサーティブに、素直に思いを伝えました。
ですが、「伝えたのだからもういいじゃないか、終わらせよう」と想う反面、モヤモヤが続き、なかなかおさまらなかったのです。
ずっと相手を責めたい気持ち、相手を悪者にしていたい気持ちがおさまりませんでした。
先生からは、あなたは超えなければならない壁がある、長年、自分の正しさを握りしめてきたんです、それを手放す時ですよ、と。
教えていただいたのに我を手放せず、その場に居られなくなりました。
その後、「自分の正しさ」ということについて心理学などから学び、
自分だけのルールに反したことをした人に対して怒りが湧いていたのだとわかりました
同時に、そのマイルールは、握りしめている必要がないものだとわかりました。
なぜなら、
マイルールを握りしめて誇示していると…
ひとと繋がれない
結局は、自分が孤立して傷つき、悲しみ、苦しむ
からです
JIONは、本心本音を我慢して
ドM頑張り教してきて、
ゆえにひとにも我慢やがんばることを
他者に強いて、
自分だけの正しさばかりアピールしていて、
そうか!今のわたしは、自分の正しさとか、自分はわかってるとか、そんなことばっかりアピールして、ウザイんだ、イタイ人なんだ、重苦しいんだ、楽しさがないんだ!!
ということに気づかせて貰えました
本当は、ひとと繋がり、他愛ないお喋りをしたり、お腹の底からゲラゲラ爆笑したり、一緒に何か創りあげたり、遊んだり、楽しいことが大好きなのに、
自分の正しさをアピールすればするほど、本当に求めている悦びから離れていってしまっていたのです
もしもあなたが、これまでの人生で、なんだか長いこと人間関係が上手くいっていないと感じていらっしゃる場合は…、しかも、それを他者のせいにしているならば、
自分に原因があると知り、明らかに調和に向かわないマイルールを手放すことで、穏やかに過ごせるようになってゆきますよ^^
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