自分を苦しめる呪い=ジャッジ
*ゆりちゃん*
「貴方にとっては、年を取るのも障害みたいね…
ずいぶん若さにこだわっているみたいだけど。」
*五十嵐ちゃん*
「すみません、でも純然たる事実なので。
アンチエイジングにお金出しても
老化にお金を出しますか?
やっぱり若さというのは
価値のひとつだと思うんです。」
*ゆりちゃん*
「呪いね。」
*五十嵐ちゃん*
「え?」
*ゆりちゃん*
「自分で自分に呪いをかけているようなものよ。
あなたが価値がないと思っているのは
この先自分が向かっていく未来よ。
それって絶望しかないんじゃない?
自分が馬鹿にしていたものに
自分がなるのはつらいわよ。
「かつての自分みたいに
今、自分の周りは自分を馬鹿にしている。」
と思いながら生きていくわけでしょ。
そんな恐ろしい呪いからは
さっさと逃げてしまうことね。
あなたがこの先、楽しく
年を取っていきたいと思うなら
楽しく年を取っている
年上の人と友達になるといいんじゃないかな。
あなたにとっての未来は
誰かにとっての現在であり
過去であったりするんだから。」
〜 * 〜 * 〜 * 〜 * 〜 * 〜
恋ダンスでも話題になった
『逃げるは恥だが役に立つ』の中での会話です。
ドラマを観て、とても印象に残ったシーンでした。
これは、あることについて語られています
それは、
他人をジャッジすること
ゆりちゃんの言葉を使わせていただくと
呪い
今、生きづらいなと感じているひとは、長いあいだ ひとをジャッジしていたので、それがそっくりそのまま、自身に返ってきているからなんですね
漫画の中の "今は" 若い女性が
若い = 価値がある
老い = 価値がない
自信満々に語っていますが、ゆりちゃんの言葉のとおり、ひとは誰もが歳を重ねて老いてゆきますよね。 例外はありません。
若々しくいられるということはあるけれど、
20歳のまま肉体が老いていかない人間はいませんね
(いたら、妖怪ですがな 笑)
この女の子も歳を重ねます
ということは、
自分で 価値がないとしたもの
になってゆくわけです
とても恐いでしょうね
老いを受け入れられなくて、許せなくて、
恐くて、
老いを隠すこと、抵抗することに必死な生き方になってしまうことでしょう
なぜ怖いか?
ゆりちゃんの言葉にあるように
「周りは自分を馬鹿にしている」
と感じるからです
なぜそう感じるのでしょう
他者をジャッジしているひとの心理
↓
《自分がそうだから他人も皆そうだろう》
そんなふうに思い込んでいるので、
自分も馬鹿にされるだろうと、他者の目をいつも恐れて生きることになります
これが、呪い です
もちろん、呪い という言葉は比喩ですよ
呪いは、
自分基準の勝手な決めつけ
思い込み
つまり、大勘違い
ということがわかっていただけると思います
勘違い、思い込み、なんです
失敗しちゃいけない → かっこ悪い
お金がない → 惨め
古い家 → 貧乏
名の知れていない小さな会社 →レベル低い
平社員 →仕事できない
ブランド品持ってない →レベル低い 貧乏
人よりもできない → 情けない ダサい
完璧にこなせない → ダメなひと
負け → ダメ、かっこ悪い
空気読めない、愛想がない →ダメなひと
↑
一例ですが、馬鹿にされると決めつけていそうなこと、多くの人が呪っていそうなことを書いてみました
自我的な意識(一般的にエゴと呼ばれているものですが、エゴは本当はありません)は、
自分だけの、思い込んでしまっている基準で、事実・真実ではない正誤のジャッジをしている時、自分にとっての正しいを握りしめて、
「私は正しい」「私は大丈夫」「私のほうが上」と、他者と比較して安心しているんです、無意識に。
自覚しているひともいるかもしれません。
人の心理って…凄いですよね
こんなことを無自覚で、やっているんです。。
本当に驚きます
衝撃ですよね…
「自分が他者を馬鹿にしていたんだ」と気づきはじめたら…
抵抗したくなるでしょう。
わたしは他者を馬鹿になんてしてない!と…
でも、この記事を読んで抵抗を感じたり、嫌な感じがするのは、図星だからです
実は私も、長いこと自分に呪いをかけていました。
私の中に、比較やジャッジがあったからだと正直に認められた時に、ああ、だから人との交流が苦手だったのだなと気づけました。
こういった人間の心理が、自分に起きていることにずっと気づかずに生きていたわけです…
これがわかった時、それはもう衝撃でした
ショックでした
とても恥ずかしく、ヘコみました。。。
人から馬鹿にされたくないという思いは自覚していましたが、他者を見下して安心を得ていただなんて…まさかまさか…恥ずかしい…
そんな想いでいっぱいになりました
で、
これは自我的な意識が最も望んでいることなのです。
《自惚れること》
または、間違ったり失敗した時には
《罪悪感》
を味わう
なぜかというと、自我は個として、実体としての感覚を強化したいからなんです
(これについては、また改めて記事にしますね。)
ジャッジ=無意識で馬鹿にして見下しているから、自分も馬鹿にされると思いこんでいて、馬鹿にされないように常に完璧であろうとして、自己犠牲しながら無理矢理がんばり続けます。
また、自分が正しいとしていることに
自分が当てはまっていないと、自己否定し、
自責をして、とても苦しくなります。
ここまで心理的な仕組みがわかり、こんなことをやっていても不毛だと心底ハッキリしたとき、呪いは消えます
それでもスッキリしない場合、セッションではさらに深く見ていきます。
奥底の隠れたジャッジの源に気づいてゆけるよう、お話しをさせていただいています。なぜ、ジャッジをするようになってしまったのかを…
ジャッジをするようになってしまったのは、ジャッジされて育ってきた背景があるからかもしれません。
ひとにはだれにでも、そのひとの価値観がありますよね
その人の好きや嫌いがあります
どう思おうと自由です
ですが、
自分の価値観が正しくて、それ以外は正しくないと否定することは、自分勝手なジャッジです
ひとの価値観を否定せず受け入れているならば、そこにジャッジはありません
自分の価値観を大切にすること
自分の好き嫌いを大切にすること
それが悪い、という話ではありません
自分の価値観以外を否定したら
自分の好き以外を否定したら
それは、ジャッジなんです
そして、ジャッジは
《他者を馬鹿にしていること》
になるのです
(心の中の声)
それは違う
それはダメ
それはおかしい
それはあり得ない
などなど…
他人の価値観や好き嫌いに対して、ちょっとそれは受け入れられないなと感じたら、いちいち否定せず、変わってもらおうとせず、攻撃せず、
「あなたはそうなのですね」で終わりです
そのほうが、自分がらくに生きられるのです
否定したり、変えようとしたりすると
心に波風が立つのです
そこに意識を向けなければどうでしょうか
心に波風は立たず、凪でいられます
そう、波風を起こしているのは自分なんですね
自分が何かに価値を感じ、好き嫌いを感じることが自由であるように
他者が何かに価値を感じ、好き嫌いを感じるのは自由です
なのに、他者の価値観や好き嫌いに対して否定し、ジャッジしてしまうと、負の連鎖が生じます
纏めると
◆自分の価値観を正しいとして握りしめている時、他者も同じ価値観をもっているだろうと思い込んでしまうのが人間の心理
◆自分勝手な価値観で他者を決めつけると
「自分も他者からそういう価値観で決めつけられる」と思い込んでしまう
他者からの「決めつけ」がとても怖くて、想いのまま言動しづらくなり、生きづらさを感じます
この無意識の仕組みを、「逃げ恥」のゆりちゃんの言葉を借りて【呪い】と呼びました
さらに、自分が勝手に決めつけた正しいとする価値観にそぐわない自分を自己否定したり、責めたくなります
もう、負のループですよね。。
でも、いきなりすべてのジャッジを手放すのは、とても難しいでしょう。
なので、まずはジャッジしたくなる思いが今あることを、誤魔化さず、目を背けず、正直に認めることから。
そう想うことを許可してあげるんです
否定だったり、罪悪だったり、ネガティブな想いを隠す必要はありません。だって、
現にその想いは在るのですから。
無理やり無いものにして蓋をするだけでは、心の中に残り続けてしまうのです
「あ、今、ひとをジャッジしてる。今の自分は、ジャッジしたいんだな。」
「うんうん、ジャッジしたいよね、なんか、あの価値観は理解出来ないよね」
という感じで、受容してあげます。
そうすると、ジャッジしたい想いは
だんだん鎮まってゆきます。
こうした人の心理を知ると、自然とひとつひとつ、ジャッジを手放してゆけます。
一人で向き合うことが難しい方は、ジャッジを手放すお手伝いしています。
最後までお読みくださり、ありがとうございます
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