生死を超えて
二人目のおまごっちちゃん、
ママのお腹から出てくるまで、1ヶ月を切りました♪
逢えるの、とっても楽しみです♡
父にも、ひ孫ちゃんたちに逢わせてあげたかったなぁ
父が亡くなって、はや12年
父が亡くなったとき、子供みたいにわんわん泣いて、全身の水分抜けきってドライフラワーならぬドライJIONになるんじゃないか(笑)ってくらい、毎日毎日よう泣いたなぁ
その頃は、今、お伝えしている "ナマの事実=コレ" をまだ知らなかったので、病や死を悪いものと思い込んでいて、、父の病や死という事実を受け入れられなかったんですね
そして、確かにあった意識は亡くなったらどこにいくんや?と生死について探求がはじまって、
さらに、骨盤疾患で職も失って、JIONにとって大切なものを喪失する体験が続いて鬱にもなって、
鬱は6年ほど続いて
6年かけて、もう一度父に逢いたいと泣いて泣いて泣ききって、
悲しんで悲しんで悲しみきって、
すべて捨てきって探求して探求して探求しきって、
自分の見解もモノもなんにもなくなるところまでやりきって、事実ハッキリして、
今、事実のままに、お気楽テキトーよろちくビームおばちゃん😂で生きれてるので、悲しい経験、苦しい経験、鬱に、ありがとうしかありません🕊️🪷✨💓
今の事実を否定したり抵抗すると苦しみが生じます
今、悲しい方、誰に遠慮がいるでしょうか
悲しいのですから悲しいままに
辛いなら辛いままに
自然に涙溢れるなら溢れるままに
周りの人は、己の見解で「悲しんじゃダメ」とか、「泣いちゃダメ」とか、余計なこと言わんといてくださいね
悲しんでいる人や、泣いてる人を見て、
「悲しんじゃダメ」とか、「泣いちゃダメ」と言いたくなる方は、悲しんでいる人や泣いてる人ではなくて、そう言いたくなる自分自身に目を向けるんです
なぜ、そう言いたくなるのか
とても重要なことです
その方が、その時にしか経験できない悲しい経験、辛い経験、泣く経験を奪わないでくださいね
悲しいは悲しいで 救われているんです
泣くは泣くで 救われているんです
そのことが、ちゃんとそのとおりに現れていることが救いなんです
愛する存在とのお別れを経験された方が、少しでも安心できたらと願い、
一休さんの句をご紹介します
「われ死なば、どこえもゆかぬ、ここにおる、尋ねするな、ものはいわぬぞ」 一休
"どこえもゆかぬ、ここにおる"
こことはどこでしょう
場所や時間のことではありませんよ
皆さんが生きているところ、どこでしょう
日常、今、触れて活動しているのは
いつでも ここ なはずです
他はないんです
ここ以外に、他に行き場所はないんですね
(最近のスピ業界では11次元が流行ってますのん?笑笑 スピ業界は◯◯次元、好きですよねw でも、そんな場所、事実として実際にありまっしぇん 行けまっせんww)
(スピ業界の否定、非難ではありません。事実としてそのような次元の実体はない、ということを言っています)
人間を含むすべてのものは現象で、無我の活動体なんですね
そして、留まらないんですね
固定的な実体はありません
心臓の活動が止まったら、活動はなくなるのかというと、続いてるんですね
その活動とは、血液の流れが止まって、冷たくなってゆきます
血色がなくなってゆき、固くなってゆき、つねっても痛いと言わない、くすぐってもくすぐったがりません
家族や親族、友人知人に見送られて家を出てゆきます
火葬によって灰と骨になります
土葬であれば土となります
良い 悪い なんていう人間の見解などつかない
そのとき そのときの 素のありのままです
生 も 死 も 人間の観念
生 とか 死 とか 固定できないんですね
だって活動し続けていますから
見かけ上は分かれているように見えたり
感じられたりしていますが
分離のない
境界線のない
最端もない
輪郭のないコレ
貴方も 貴方の愛する存在も
生も死も超えたコレそのもの
(コレすらありません)
安心してください💗
ここにいますよ💗
↑
履いてますよ🩲✨ みたいに言う😆🩲💕
最後にどうしても笑いをとりたくなる
おばちゃんのひとりごとでした
お読みくださった方
ありがとうオリゴ糖❤️
*言葉はすべて方便です。月を指す指です。
言葉の中に答えはありません。事実・実物・コレは、セッションでナマでお示ししています。
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